重なる瞬間
空はよく晴れていて、気持ちのよい夏の午後だった。
部活の練習も終わり、体は心地のよい疲労感に包まれていた。
着替えたら帰ろうかと思った時だった。
「宮ノ越くん!」
「葵先輩?」
グランドの外にいたのは、藤城葵先輩だった。
今はもう夏休みに入っているし、まさか先輩と会えるなんて思っていなかったから、俺はただ会えたというだけで、うれしい気持ちでいっぱいになった。
「もうすぐ帰るんだよね?
よかったら一緒に帰らない?」
「はい!もちろんです」
***
運良くこうやって一緒に帰れることになって、本当に運が良かったと思う。
葵先輩はいつも優しくて、可愛らしくて、少しだけ俺のことを気にかけてくれているような気がする。
俺は早くそんな先輩に認められたくて、追いつきたくて必死だ。
「頼まれごとをしたから、学校に来たんだけど、こうして宮ノ越くんに会えてよかったよ」
「はい、俺もそう思います」
「実は宮ノ越くんに用事があって……グラウンドまで行って、もういなかったらどうしようかと思ってたよ」
「俺に用事ですか……?」
少し考えてみたけれど、先輩の言う用事に心当たりがなくて、俺は首をひねった。
「そうそう、宮ノ越くん、明日お誕生日でしょ?」
「覚えていてくれたんですか?!」
そういえば前に話の中で誕生日の話題が出たことがあったかもしれない。
でも、それはかなり前のことだったし、まさか先輩がそのことを覚えていてくれるなんて夢にも思わなかった。
「当たり前だよ、宮ノ越くんのことだもん」
「えっ?!
その……ありがとうございます」
先輩にとってはなんてことのない一言だったのかもしれないけど、そんな一言が嬉しくて、頬が赤くなっていくのがわかる。
こういう一言って本当に卑怯だ。
「だから、明日ね。
もし良かったらなんだけど……誕生日のお祝いがしたいなぁって思って」
「本当ですか?
俺、すっごく嬉しいです。明日は土曜日で部活もないし、いつでも大丈夫です」
「良かった!
なら、明日、何をするか少し相談しない?」
先輩はそう言うと公園のベンチを指さした。
***
夕方の風が頬や髪を撫でていく。
木陰は気持ちよく、人気の少ない公園は落ち着いて話ができそうだった。
先輩が隣に座っているというそれだけで少し緊張した。
「明日なんだけど、何かしたいことってあるかな?」
「したいことですか……うーん、これといって特に……」
「なら、して欲しいこととかは?」
「して欲しいこと……」
そう言われて少しだけ考えた。
明日、誕生日ってことは一時的にでも、葵先輩と同じ年になるんだよな。
そう思ったら、思わず口からでていた。
「……先輩にタメ口で話してもらいたいです」
「えっ、えっ?!」
「あ、すみません……!
やっぱりそんなのおかしいですよね。
明日から先輩の誕生日までの間だけは、同い年だなぁって思ったら思わず……」
「そっか、そうだね……。
明日からしばらくは同い年なんだ……」
先輩は少し考えこむようにしてうつむくと、パッと顔をあげた。
「うん、そうだね!
誕生日のお願いだもん、明日は一日タメ口で話してみる!」
「ありがとうございます!
なんだか新鮮ですごく楽しみです」
「でも、そうなったら宮ノ越くんも敬語を使ったらダメだよ?」
「えっ、俺もですか?!」
「あたり前だよ。
だって同い年なんでしょ?」
「……そ、そうですよね」
「だから、その葵先輩って言うのもダメだよ」
「えっ、ええ?!
ならなんて呼べば?」
「うーん、名前の呼び捨てとか……?」
「葵……む、無理です。
恥かしすぎます!!」
「えぇ~?
なんで?変じゃないよ?」
「葵ちゃん……葵さん……あっ、どれも恥ずかしいっていうか、変な感じが……」
「明日一日だけなんだから、そんなこと言わずに!
今からちょっと練習してみようよ」
隣には満面の笑みの葵先輩がいた。
「先輩……楽しんでませんか?」
「そんなこと、ない!ない!」
とは言え、提案をしたのは自分だし、ちゃんとしなくちゃ。
「葵……いい天気ですね……じゃなくて、だな」
「そうそう!
その調子!」
「ダメです!
敬語以外で話さなきゃって思うと何を話したらいいのかも出てこなくて……」
「何も話せなくなったら本末転倒だから、やめておく?」
「いえ、このままで!
なんだかこうやって話してると葵先輩とすごく仲良くなれたみたいで、うれしいので」
同い年の人たちと親しげに話をしている葵先輩の姿を何度か見たことがある。
仮でも嘘でもいいから、そんな姿に少しでも近づけているような気がして。
「あっ……そういえば先輩も『宮ノ越くん』って言うのは変ですよ。
如月先輩には斗真って呼んでるじゃないですか」
「斗真は……幼なじみだし……。
他の人はだいたい名字にくん付だよ」
「せっかくだし、少しだけ……ダメですか?」
「う、うん……いいけど……」
先輩は一度言葉を切ると、小さく息を吸い込んで、そして口を開いた。
「涼太……」
「!!」
思わず息を飲んでしまった。
名前を呼ばれるってそれだけのことがこんなにも特別な意味をもつなんて、今の今まで考えていなかったから。
だって、これじゃあまるで……。
「な、なんか恋人同士みたいで……照れるね」
「は、はい」
先輩の小さな手がスカートの裾をきゅっと握っている。
緊張したんだ。
「明日はやっぱりいつも通りで大丈夫です!
俺は今晩、ちゃんとタメ口で話せるように練習して明日に備えます!」
「う、うん、そうだね。
やっぱりなんだか恥ずかしいもんね」
「でも、いつか……近い将来、名前で呼び合うような関係になれるといいですね。」
「あっ、うん……って……えっ?」
葵先輩はびっくりして少しだけ頬を赤くしてした。
いつか。
できるだけ近い未来で。
「その時はちゃんと俺から言いますから、待っていてくださいね、葵」